【ゴールデンハーベスト・スタジオ訪問記】の記事

 その7からのつづき。 最初から読まれたい方はこちら


 ユン・ピョウのスタジオを出た私は、もうひとつのスタジオを目指しました。

 ジャッキー・チェンが映画を撮っているというスタジオです。



 時はまさしく香港映画の黄金時代。

 その日、ゴールデンハーベストの撮影所では、敷地内にある複数のスタジオで、それぞれ別の映画が同時進行で撮影されていました。

 ユン・ピョウに会った興奮が身体に残ったまま、私は見知らぬ学校の中を気まぐれに歩くように撮影所内を探検しました。

 すると、ほかとは空気の違う場所にたどり着きました。

 外にいてもわかります。中で何かやっているという気配です。

 たくさんの人がいます。



 中に入りました。



 するとそこには、

 「洞くつ」がありました。



jackie_studio01.jpg つづく。
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 その6からのつづき。 最初から読まれたい方はこちら
 

 「訪問記 その6」の最後のほうに追記しましたが、こちらでも。

 映像を探したらありました。

 これが私がスタジオで撮影現場に遭遇した映画「神勇雙响炮 續集」です。

 ちょうど45:00のところを見てみてください。その6に載せた写真のセットの場面が出てきます。



 ということで、私は「神勇雙响炮 續集」を撮影していたスタジオを出て、今度はジャッキー・チェンのいるスタジオに向かいました。

 つづく。
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 その5からのつづき。 最初から読まれたい方はこちら


 私を見る、満面の笑みのユン・ピョウ。

 休憩中ではあるが慌ただしく次のシーンの撮影のために仕事をするスタッフ。セットのど真ん中でただひとり緊張する私。

 そんな中で私はユン・ピョウに握手をしてもらいました。

 私は彼に

 「日本でアナタの出演した『プロジェクトA』や『大福星』を観ました。面白かったです」

 ということを伝えようと思いました。

 握手をしてもらいながら、どう言おうか考えました。

 というのは、

 『プロジェクトA』は、『PROJECT A』がこの映画の公式英文題名(中文原題は「A計劃」)なので、そのまま「プロジェクト・エー」と口にすればいいのですが、

 しかし『大福星』は日本の配給会社が付けた邦題です。原題は違います。

 この映画の原題は『福星高照』です。

 私はラッキーにもその原題『福星高照』を覚えていました。なぜ覚えていたかというと、この映画のビデオをダビングしてラベルを貼るとき、香港に1度も行ったことがないのに香港かぶれだった私は、ラベルに邦題ではなくこの原題を書いたのです。だから記憶に残っていました。

 そこで私はとっさに考えました。

  「『大福星』と言ってもユン・ピョウには分からない。『福星高照』と言えばいい」

 よし、いくぞ!と、瞬時に判断して、私はカタコトの英語で言いました。

 「ニホンで、ワタシは、アナタのエイガ、ミマシタ。
 『プロジェクト・エー』、エーンド、『フクセイコーショー』!」

 「ハイ、ハイ」(笑)。


 と、満面の笑みのユン・ピョウ。

 やった。

 でもですね、「福星高照」を「フクセイコーショー」と日本語読みで言ったって彼に通じるわけがないのです。

 あとでこのやりとりを録音したテープをホテルに戻って聴き直して、私はそのことに初めて気がつきました。

 いま思えば、当時プロモーションで何度も日本に来ていたユン・ピョウですから、日本の題名の「ダイフクセイ」と言ったほうが通じたかもしれません。

 しかし、私の「フクセイコーショー」に「ハイ、ハイ」とうなずき満面の笑みのユン・ピョウ(笑)。私のカタコト英語、聞いてなかったのか......。

 とにかく、短かったですが、ユン・ピョウと私のコミュニケーションは終了。

 できれば彼にこう伝えたかった。

 「アナタのアクションは最高だ。脚のキレがイイ、動きが本当にスマートだ。あなたは真のアクションスターだ」......。

 彼のアクションは実際、ジャッキー・チェンよりもずっとシャープですよね。

 カタコトで伝えられたかもしれないが、でも、やっぱりそのときは胸がいっぱいだったのだろう。言えなかった。



 私はバッグから旅日誌を出してサインをしてもらいました。公園のベンチで書いたりするため旅日誌をいつも携行していたのです。

yuen_biao_sign.jpg 彼はしゃがんで、箱か何かに日誌を置いて、サインを書いてくれました。するとそれを覗き込んだスタッフが広東語でユン・ピョウに何やら指摘しました。

 スタッフはどうやら日付けの間違いを指摘したようです。

 86年3月8日のところを、彼は「7.4.86」と書いてしまいました。

 ユン・ピョウはニコニコしながら、「ダ、メ! 」とカタコトの子どものような可愛らしい日本語で言って、「4」のところにバッテンを付けてその下に「3」を書きました。

 これらのやりとりはテープに録音していました。

 でもそのテープを聴かずとも、私は今でも頭の中でユン・ピョウの「ダ、メ!」の声をはっきり再生することができます。
 
 とにかく、ユン・ピョウは、終始ニコニコしていました。

 別れ際にタイさんが残した言いつけ(「ユン・ピョウで10分ね」)を守り、撮影のジャマをしては悪いと思い、私はユン・ピョウにバイバイと言ってスタジオを出ました。

 よかったよかった。


 「あ、写真撮るのを忘れた!」と気づいたのはスタジオを出てから。緊張して忘れてしまいました。



 で、どうしたか?

 私は、次の日、3月8日もまたゴールデンハーベスト・スタジオに、今度はアポなしで行ったのです。

 以下は、時間が飛びますがあくる日の8日のことです。

--------------------------------------------------------

 3月8日の日誌にこう書いてあります。

 「今日も嘉禾影業公司に行った。ユン・ピョウの写真を撮るためだ。」

 「今日は無断で中に入る。入ってすぐ近くにいた人にたずねたら、スタジオまで連れていってくれた。」

 ユン・ピョウはあくる日もスタジオにいました。私をスタジオまで連れて行ってくれたスタッフらしき人は、またもユン・ピョウに取り次いでくれました。

 ゴールデンハーベストのスタッフが、きのうのスタッフも、このスタッフも、そしてこのあと会うスタッフも、なぜ皆こんなに親切だったのか、いまでも不思議に思います。


 で、「きのうはどうも」とユン・ピョウに近づく私。

 2日続けて来てしまった私に、きのうと同じくニコニコして警戒感のまったくないユン・ピョウ。

 「きのうは写真を撮るのを忘れました。撮っていいですか」と言いました。

 彼はきのうと同じ満面の笑みで、「ハイ!」。

 彼はニコニコしながらスタッフに何か言いました。すると、スタッフが、この映画の撮影で使っている35ミリムービーカメラを運んできてくれました。

 雰囲気を出すためにわざわざムービーカメラをセットの壁の前に持ってきて、私の撮影のためにセッティングしてくれたのです。

 私は、ユン・ピョウの前に立ってカメラのファインダーを覗きました。

 ファインダーの中には、これまで日本で私が映画やビデオで見てきた、あのユン・ピョウが、こっちを見てフレームに納まってくれている。

 シャッターボタンを押して、

 パチリ!

yuen_biao01.jpg ムービーカメラを小道具にしてポーズを決めてくれるユン・ピョウ。

 私が、「ワンモア プリーズ」と言ったら、彼は「ハイ!」と言いながらうなずいて、快くポーズを変えてくれました。

 パチリ!
yuen_biao02.jpg いい笑顔ですよねえ。

 スタッフにカメラを渡して、ツーショットを撮ってもらいました。

 セットを前にして。

yuen_biao03.jpg お願いしてないのに、彼のほうからスタッフに「ワンモア」と言ってくれて、もう1枚撮ってもらいました(感涙)。

yuen_biao04.jpg この2枚の写真。

 お気づきですか?

 二人の前にあるムービーカメラの向きが2枚目は変わっています。

 私は、出来上がった写真を見てそのことに初めて気づきました。

 ユン・ピョウがカメラの向きを変えて、写真に変化をもたせてくれていたのです。

 ユン・ピョウって......(感涙)。


 ところで、日誌を読み返してみたら、こういうことが書いてありました。

 「昨日のサインに僕の名前を追加してもらった」

 すっかり忘れてましたが、サインの左上の名前(ぼかしてありますが)は、あくる日に追加してもらったものでした。

 おそらく私は、カタコト英語で彼に「プリーズ サイン マイネーム ヒア」とか言ったのだと思います。図々しいです。

 
 のちに香港でレンタル落ちの中古ビデオが街中で売り出されるようになってから、私は白スーツに黒シャツ衣装のユン・ピョウがパッケージに出ているビデオを探して買いました。

 「神勇雙响炮 續集」という作品でした。
 

 本当に、ユン・ピョウはずーっと、ニコニコニコニコニコニコしていました。

 あとで本か何かで読んだ記憶があるのですが、彼は奥さんのためにラブシーンは撮らなかったそうです。

 ユン・ピョウって......いい人だなあ!

--------------------------------------------------------

 以上があくる日の3月8日、訪問第2日目の話。

 ふたたび7日に話を戻します。


 ユン・ピョウのスタジオを出た私は、もうひとつのスタジオに行くことにしました。

 ジャッキー・チェンがそこで映画を撮っているというのです。


 ※『大福星(福星高照)』は全編日本を舞台にした作品です。(参考:動画56.com


追記:探したらありました。これが「神勇雙响炮 續集」です。

ちょうど45:00のところを見てみてください。


 つづく。
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 その4からのつづき。 最初から読まれたい方はこちら
 

 鉄の扉が開けっ放しの入り口をくぐると、暗いホールというか廊下があり、それをはさんで両側にスタジオがありました。

 私はTさんのあとにくっついてそのひとつに入りました。

 いくつものライトから放たれる強い光が、入ってすぐのところに組まれたセットを照らしています。

 「あッ、ユン・ピョウだ!」

 私は心のなかで叫びました。

 セットのすき間から見えるその光の中に、ユン・ピョウが立っていました。

 映画やビデオで見たあのユン・ピョウがライトに照らされていました。

 当時の旅日誌を読み返すと、こんなことが書いてあります。

 なんと、ユン・ピョウが格闘シーンを撮っているところだった! ライトのいくつかはこっち(私たち)に向いていた。T氏は 『今、撮ってるからのぞかないように!』 という。

 そうです。まさしく本番の真っ最中、しかもアクション場面の撮影だったのです。

 Tさんと私は、セットの陰に隠れました。だからそれ以降は撮影シーンを見ることができませんでした。

  『レディ.........アクション!』 のかけ声で、相手役の大きな奇声とセットにぶつかる激しい音。OKが出ないのか、それが何回も繰り返される。(旅日誌より)

 「ウヤーッ !!」 「イアアアッ!!」 と、香港映画でよく聞く迫力の格闘シーンの怒声。木とベニヤ板で組まれたセットが壊れるかと思うほどの激しい音と振動。

 ライトに照らされた表側とは違って、セットの裏は暗いです。Tさんと私は音を立てぬように身をひそめました。

 Tさんは私といっしょにしゃがみながら 「あれ、よわったなあ。出られなくなっちゃたよ」 と小さな声で言いました。スタジオを出るには、セットの前面に出てカメラの前を通らなくてはならなかったからです。

 実は私はスタジオに入ってからずっと持参のカセットテープレコーダーを回していました。テープを再生してこのときのTさんの「よわったなあ」の日本語を聞くと笑ってしまいます。

 セットに身をひそめながら、私はTさんに聞きました。

 「(ユン・ピョウに)会ってもいいですか?」

 「いいけど、くれぐれもじゃまにならないようにしてください」

 「いつ会っていいです か?」

 「そりゃあなた、あなたが自分で判断してください。雰囲気でいいなと感じたら。でも、あまり長い時間いてははだめですよ。ユン・ピョウで10分、ジャッキーで10分くらいね」


 このやりとりも録音されて残っています。でも、聞き返さなくてもこのときのTさんとのやりとりは今も覚えています。

 頃合いを見計らって、

 Tさんは 『くれぐれもじゃまにならぬように』 と言い残して去って行く。(旅日誌より)

 文字で書くとTさんはつっけんどんな感じに聞こえますが、言葉の雰囲気は実際はそんなことはありませんでした。

 ここまで日本語で案内してくれた親切なTさんは、カメラの回っていない一瞬のスキをみて、私のお礼の声を背に受けながら去って行きました。

 私はセットの裏にひとり残りました。     

 何回かの 『アクション!』 と セットにぶつかる激しい音。

 しばらくして笑い声が聞こえ、なごやかな雰囲気になった感じがしたので陰から顔を出してみると、皆休憩している。
(旅日誌より)

 いちばん近くにいたスタッフと思われる人に近づいていき、私は上気した気持ちで、日本から旅行で来たのですがと前置きして、 「ユン・ピョウに会っていいですか?」 と聞きました。

 そのスタッフは 「ジャペーン? ウエルカム!」 と言いました。

 いきなりセットの裏から現れて近寄ってきた私に対して、こんな返事がかえってくるとは予期せず驚きましたが、そのひとことで一気に緊張がとけ私はホッとしました。

 そのスタッフの彼は、わざわざ私をユン・ピョウのところまで連れて行きました。そして、彼は二言三言何かを広東語でユン・ピョウに告げました。

 するとユン・ピョウは私の方に顔を向け、小さくうなずきながら満面の笑みで 「ハイ!」 と言いました。

 本当にこぼれるような満面の笑みでした。

 つづく。

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 前置きの長い文にて失礼しました。
 ここまでは、サイトで書いた記事を加筆修正したものです。

 次回、その6から、一気に写真をアップする予定です。
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 その3からのつづき。 最初から読まれたい方はこちら
 

 私は、2階建て(もしかしたら平屋だったかも)の本部棟と思われる建物に入りました。

 この写真は受付の横の壁にあったプレート。

studio_02.jpg 受付に女性が座っていました、電話で言われた通りTさんを呼んでもらいました。

 しばらくして、奥のオフィスから少し年配の男性が現れました。

 「電話しましたKです」

 「どうも、こんにちは。Tです。じゃ、どうぞ」


 Tさんは私を伴って外に出ました。

 これはあとで日本に帰ってから見たテレビ番組で知ることになるのですが、Tさんは当時ゴールデンハーベストの「アジア部長」の肩書きを持つ方でした。日本の番組にジャッキー・チェンといっしょに出ているのを見ました。


 「日本から来たんですか」

 「はい、そうです」

 「香港映画が好きなんですか?」

 「はい!」


 こんなやりとりをしたと記憶しています。私は緊張というかかなり気分が高揚してしまって、口数が少なかったように思います。

 「どんな俳優が好きなの?」

 「ディック・ウェイ(狄威)が好きです」


 ここで私は、自分が香港映画が好きなことを示したいために、ちょっと渋めの俳優の名を挙げました。

 ディック・ウェイは台湾出身の俳優で、当時の日本ではジャッキー・チェンの 『プロジェクトA』 の敵のボス役など、主に悪役で見ることができました(これ<YouTube>)。彼のアクションは華麗で特に蹴りの足技がシャープで見惚れます。

 実際、私はディック・ウェイのファンでした。VTRで彼のシーンをスローモーションにして何度も繰り返し見たりしていたのです。
    

 と、たった今Tさんに 「ディック・ウェイが好きだ」 と答えた、その舌の根も乾かぬうち―――

 「あの、ジャッキー・チェンいますか?

 オイオイ(苦笑)。いま思えば冷や汗です。しかし、当時の日本人にとっては香港映画といえばなにはなくともジャッキー・チェン。このやりとりはさほど不自然ではなかったように思います(ホントか?)。

 すると、

 「ああ、いますよ、今、撮影やってます。きょうはユン・ピョウも別の映画で撮影やってますよ」
 
 あっさりTさんがそう言ったので、私は 「あ、そうなんだあ」 と思いました。ノンキです。

 人間の感情というものは不思議なものだなと思うのですが、生まれて初めての慣れない外国でただでさえ毎日気分がハイになっている状態で、しかも昨日までは考えもしなかったゴールデンハーベストの撮影所の中に自分が立っていて、しかもジャッキー・チェンやユン・ピョウが、今、すぐ近くにいるということを目の前の人から告げられた―――、そんな状況に置かれると、かえってその現実に実感が伴わないのか、驚くという感情に脳が追いついていけないのでした。そんな変な気持ちだったのを覚えています。

 正直言えば、ほんの1時間少し前にホテルから電話してスタジオに入れることが決まってから、頭の中では、「ジャッキー・チェンがいたらいいだろうなあ」と淡く思っていましたが、まさかスタジオに本当にいるとは思わなかったのでした。

 「会えますか?」

 と私は聞きました。これにTさんがどう答えたのか、実は今はもうはっきり覚えていません。こんな会話をやりとりしているうちに、Tさんは私を連れてズンズン前を歩き、中央に鉄の扉のあるスタジオ棟に着きました。

 これです。

studio_01.jpg 中に入りました。

 つづく。
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 その2からのつづき  最初から読まれたい方はこちら


 タクシーは、門をくぐってまっすぐに走り、けっこう奥まで進んだところで「ゴールデンハーベストに連れて来た客はいつもここまで運ぶんだ」 とでもいうかのような慣れた感じで、何台かクルマの置いてあるところで停まりました。

 スタジオに着いて舞い上がっていた私は、気もそぞろに料金メーターを見て、表示されていた50香港ドルに、乗車拒否せずここまで運んでくれた神様へのお礼として5ドルのチップを足して、合計55香港ドルを渡してタクシーを降りました。

 タクシーを降りてすぐ目に付いた建物がありました。どうやらそこが本部棟のようです。

 私は、本部棟に向かって何歩か歩きかけました。

 そのとき、私は、はたと立ち止まりました。

 「......!」

 頭の中に先ほどのタクシーの料金メーターが映像になって浮かびました。

 「タクシーの料金メーターは、50香港ドルじゃなくて5香港ドルってなってた!」

 振り返ると神様の運転するタクシーはすでに何十メートルか先にいて今まさに門をくぐって出て行こうとしているところでした。

 私は何も考えずタクシーめがけて走り出しました。タクシーが門をくぐろうとするその直前、追いついた私は運転席のウインドウを叩きました。

 そのときどんな英語を私が言ったのか思い出せませんが、「フィフティダラーズ、フィフティダラーズ、ミステーク、ミステーク、ミステーク」みたいなことを叫んだんじゃないかと思います。

 運転手は私の訴えに応えて、ちょっとだけニヤッとすると、ポロシャツのポケットから50香港ドルを出して私に返してくれました。(チップ分の5ドルを売り上げの箱か何かに入れて、残りの50香港ドルはまさしくポケットマネーにしようとしたのでしょうか)

 私の叫びを無視して走り逃げることもできたのに。やっぱり神様でした。

 結局タクシーは正規の5香港ドルを受け取った形で去っていきました。

 料金が5香港ドルなのに50香港ドルに5香港ドルのチップを付けて渡した馬鹿者は、再び本部棟に向かって歩きました。

 ちなみに当時のレートは1香港ドル=24円でした。

 つづく。
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 その1からのつづき


 「なんでしょうか?」

 「すみません、私はゴールデンハーベストのファンなんですが、スタジオの中に入れませんか?」

 「うーん、それは無理です。できません」

 「そうですか......」

 「入ることはできません」
 
 「そうですか......(やっぱりダメか)。 それでは、門の前だけでもいいです。スタジオの門の前で記念に写真を撮りたいのですが、それはだめでしょうか」


 本気でそう思いました。記念に門の前で写真を撮るだけ。私は食い下がりました。

 でも、いま考えたら、門の前は敷地外のパブリックスペースなのだから外から撮る分には許可をもらう必要などなかったのですが。

 「...うーん」

 「だめでしょうか。門の前でだけでも」

 「...うーん......そこまで言うんだったら.........来ますか。
 でも、少しだけ。少しだけですよ。
  受付に来たら、私のことを呼んでください。私の名前はTといいます」

 「(えっ!?) ありがとうございます! ではこれから行きます!」


 あれから20年以上が過ぎても、このときの電話でのやりとりは鮮明に覚えています。

 とにかくスタジオに行くことになりました。

 電話を切ると、私はベッドの上に放り投げてあったショルダーバッグの中を覗いてカメラと小さなカセットテープレコーダーと日誌が入っていることを確かめ、観光協会で書いてもらったスタジオの住所のメモをポケットに突っ込んでホテルを出ました。

 観光協会のスタッフが言うには「スタジオへ行くならタクシーがいい。でも、お金がかかるから、地下鉄で鑽石山(ダイヤモンドヒル)まで行って、そこからタクシーに乗るのがいいでしょう」とのこと。観光協会のスタッフの説明は懇切丁寧でした。

 ということでホテル最寄り駅の佐敦站から鑽石山站まで地下鉄で行きました。

 鑽石山站から地上に出ました。

 驚きました。

 目の前にいきなり広がるバラックの海。初めての海外旅行でしたので少しビビリました。

 広い道に出て、タクシーをつかまえようとしました。

 が、来るタクシーのすべてが乗車拒否して通り過ぎて行ってしまいます。

 そのうちの1台の運転手は、手を挙げる私と目が合うと、ほら、西洋人がよくやる、両手の手のひら胸の前で上に向けてそれを上に押す感じで上げるジェスチャー(うまく説明できない......)をしたのを、今でも覚えています。

 実は乗車拒否でもなんでもなく、たまたまそこはタクシー乗降禁止区域だったのでした。香港では広い道路はたいてい乗降禁止だということは後に知るのですが、そのときはそんなこと知りませんでした。

 大いにヘコミながらも場所を移してやっとのことでタクシーを拾い乗り込みました。

 乗車拒否せず乗せてくれた運転手が神様のように見えました。

 私は

 「斧山道8 嘉禾影業公司」

 
と書いたメモを見せました。神様はそのメモを見ると無反応のまま前方に向き直り、タクシーは走り出しました。

 窓の外を流れる、華やかな街なかとは違う殺風景でホコリっぽい景色を見ながら、私は少し悩みました。

 「着いたら門からどうやって中に入ろう。守衛に止められたらなんて説明しよう」

  しかし、なんのことはない、それほど時間もたたないうちに、タクシーは、私が 「あ、これがスタジオか?」と気づくより早く、当たり前のように撮影所の門をすっとくぐってしまいました。


 私はノーチェックでタクシーごと撮影所の敷地内に入ってしまいました。


 来ました。

 夢にまで見たゴールデンハーベスト・スタジオです。

 いや、夢になど見ませんでした。なぜなら香港に来るまで、いや、香港に来てからもなお、ほんのきのうまでは、ゴールデンハーベスト・スタジオに行こうなどとは考えもしなかったのですから。

 香港に来て香港の映画館で香港映画を観て、きのう、ふと、「ゴールデンハーベスト・スタジオに行ってみようかな」 と思いついたのがキッカケだったのです。

 とにかくやって来ました。レイモンド・チョウが率いる香港映画の総本山、夢の工房、ゴールデンハーベスト・スタジオです。

 英文正式名は「ゴールデン・スタジオ・リミテッド Golden Studios ltd.,」、
 中文名はその名も 「嘉禾製片廠」 です。

 つづく。
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gh_studio_title.jpg 来週から、NHK BS2でジャッキー・チェンとブルース・リーの映画がたくさん放映されます。

 そこで、これを記念して、このブログで私のゴールデンハーベスト・スタジオ訪問記を連載することにします(要は書くきっかけがほしかった)。時は1986年ですから古い話です。香港映画の黄金時代の頃です。

 もともとはサイト「香港なんでもケンショウ堂」に途中まで書いたものです。世の中がブログ全盛になり、私のサイトもほったらかし状態になってしまいました。

 そこで、この訪問記の続きを当ブログで書くことにしました。

 まずは、途中まで、サイトで書いたものを一部書き直して載せることにします。

 それではどうぞ。1986年の香港にタイムスリップ!

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 はじめての海外旅行でやってきた1986年の香港。

 私の宿泊した油麻地の今はなきフォーチュナ・ホテルから歩いて数分のところに、映画会社ゴールデ ンハーベスト直営の大映画館、嘉禾戲院(ゴールデンハーベスト・シアター)がありました。

 これはそのときの旅行で私が撮影した嘉禾戲院です。

gh_theatre100.jpg 私はこの嘉禾戲院で、当時日本ではまったく知られていなかったチョウ・ユンファが主演している嘉禾作品『奇縁』を観ました。

 香港の映画館で地元の人々にまぎれこんで香港映画を観るのは、新鮮な体験でした。

 でも、それ以上に 、ゴールデンハーベスト映画をゴールデンハーベスト・シアターで観たことがとても大きな感動でした。

 映画の冒頭、スクリーンにゴールデンハーベストのオープニングクレジットがダンダンダンダン!と出てきたときは鳥肌が立ちました。


  映画館を出て、ふと、思いました。

 「ゴールデンハーベストのスタジオに行くことはできないだろうか」 

 ブルース・リーやジャッキー・チェンの映画をはじめ、数々の作品を生み出してきた、あのゴールデンハーベストの撮影所に行けないものか?


 思い立ったが吉日とは言いますが、1日おいた翌日。

 香港初上陸から7日目の、1986年3月7日。

 当時書いた旅日誌が手元にあります。

 その日誌によると3月7日の 「午前11時過ぎ」 、私は、香港島セントラルの高層ビル、ジャーディンハウスに当時あった香港観光協会(現・香港政府観光局)のインフォメーションセン ターに行っています。

 応対してくれた観光協会のスタッフに、私は言いました。

 「ゴールデンハーベストの撮影所に行きたいのですが......」

 すると観光協会のスタッフは

 「ゴールデンハーベストのスタジオは観光地ではないので入るのは難しいと思います。電話番号だったらお教えすることはできます」

 スタッフはスタジオの電話番号を調べてくれました。私は電話番号を書いたメモをスタッフからもらいました。

 すぐに油麻地のフォーチュナ・ホテルに戻り、正午過ぎ、メモを見てさっそく部屋からゴールデンハーベストに電話しました。

 番号を間違えないようにひとつひとつ確実に電話機のボタンをプッシュしました。

 受話器から聞こえてくる、日本とは違うテンポの、2回ずつ短めに鳴る呼び出し音。ああ、私はいま日本じゃない所にいる、と実感。なにせ初めての海外ですから。緊張しました。

 女性スタッフが電話に出ました。

 「私は日本から来ました。私はアナタのスタジオに行ってもいいですか?」

 中学生レベルの英語でこんなようなことを言ったんだと思います。

 こちら のブロークンでしかも意気込んだ鬼気迫る英語に向こうは困ったのか、女性は「ちょっと待ってください」 と言いました。

 しばらく受話器の向こうが無音となったのち、日本語ができる男の人に代わりました。

 「なんでしょうか?」

 つづく。
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